終活のご相談から、札幌市南区藤野の土地を買取させていただきました!
「この土地どうしたらいいんだろう…」とご相談をいただき、
札幌市南区藤野6条の土地を買取させていただきました!
沸きに沸いた1970年代の札幌市南区
まずは物件詳細、こちらをご覧ください
70歳を迎え、終活として資産の整理をしたい、というお客様からのご相談でした。
昭和50年代初めは、まさにイケイケの時代。
昭和47年の冬のオリンピックが札幌で開催されたこともあり、南区という札幌市の中でもやや離れであった場所が一躍、オリンピックのメイン会場となりました。
前年46年の冬にオリンピック会場の最寄り駅として札幌市営地下鉄南北線「真駒内駅」が開業されました。
オリンピック終了後の札幌市南区はその余韻から、真駒内まできた地下鉄が「次は藤野だ簾舞だ」、「そして終点は定山渓だ」と沸いていたそうです。
結局、真駒内駅以南の延長はなくなったものの、昭和40年代後半から50年代途中までは、札幌市南区が沸きに沸いた時代であったといいます。
お客様は会社の福利厚生の一環にてこの土地を買われたとのことでした。
途中、購入した3倍以上の価格で売ってくれないかという不動産会社も来たとのことですが、札幌市南区の土地はまだまだ高騰するとの考えからお断りしていたそうです。
バブルがはじけ、不動産が負動産へ
平成も半ばになると、この土地周辺には新しい家が建つどころか、どんどん空き家が増えはじめたといいます。
お客様は元々別の場所に新居を構えていたため、毎年、趣味の家庭菜園をしていたそうですが、年々、往来もきつくなってきたため終活としての処分を数年前より考えていたそうです。
自宅に携わった不動産会社や、大手不動産会社、南区の地元不動産会社などなど、いくつもの不動産会社に相談し、全てに断られたそうです。
困り果てたお客様は札幌市にも相談に行き、寄附の意向を示しましたが、これも断られたそうです。
最終的に、この土地から車で1時間以上離れた当社にご相談がきたというわけです。
当社は「ご相談は最後まで承ります」
当社は、他で断られたお客様が多数ご相談にきてくださいます。
今回は、電話でのご相談の翌日に、現地を視察しました。
途中、ゴールデンウィークの連休や新型コロナウイルスの影響などもあり、3-4週間のお時間をいただいてしまい即日決着こそできませんでしたが、先日、無事に買取りをさせていただきました。
たくさんの不動産会社をはじめ、最終的には札幌市にまで断られた土地ですので、とてもお喜びいただきました。
こちらこそ、ご相談いただきましてありがとうございました。
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